supermonyari.

すーぱーもにゃり。

祖父の死

 先日高齢者介護の講習が終了し、いよいよ来週から現場実習に入ります。その実習のある施設にちょっとでも慣れておければと思い、4日間ほどボランティア活動をしました。入居者20人くらいの小さな施設で、ほとんどの入居者は認知症がある方です。ボランティア人員はレクレーションや食事の補助などをしますが、実際はコミュニケーションの取り方すら手探りで模索しているような状態でした。

 

 ひと月ほど前になりますが、父方の祖父が身罷りました。

 

 84歳。母がその次の日に連絡をくれました。母とおばさんたちで看取ったことなど、ざっくりとその日の話を聞いたのですが、話の中で気になったのは、父が「monyari(おいらのこと)には連絡しなくていい」と母に言ったらしいことでした。

 海外にいるおいらに、葬儀のために帰ってくるような手間をかけさせたくないということだったのかも知れませんが、おいらは父の態度がちょっと引っかかりました。以前実家に帰ったとき、気にかかっていたことがあったからです。

 

 今から2年ほど前、おいらは当時のオーストラリアの職場を辞めて独立する段取りを考えていました。鉱山景気も収束し小さい日本人市場しかもたないパースの街で、日本人市場以外に打って出るのに、自分に自信をもたせ、後押しする何かが欲しいと思っていました。そこで「一番身近なビジネスの先輩は誰か」と考えた時に、おいらが生まれるずっと前に地元で会社を興した祖父の顔が浮かび、話を聞ければと思い立ったのです。

 

 父も一線を退いてはいますが、経営で前線に立つおいらの2人の弟たちをバックアップしています。以前父に「会社からこういう扱いを受けている。どうしたらいいか」と聞いたことがあったのですが、父は「会社のやり方が気に入らないなら辞めろ」とぶっきらぼうに返事をしました。そういう話をおいらとする時、父はあまりいい顔はしません。家業を継がせるはずが実家を飛び出してしまった長男であるおいらと、そういう話をするのはいい気がしないというのもあるのかも知れません。おいらもその表情を見るとそれ以上話す気になれず、いつも盛り上がらずに終わります。

 

 祖父の方は、生前から「数字とカネに敏い」「人を人とも思わない」人だと、周囲から聞かされることがありました。おいらが小さいころ、祖父は特別に優しい人だと思ったこともありませんでしたが、特においらに向かって厳しく叱ることもなく、肩もみや白髪取りなどをさせては小遣いをくれる、そういう印象だけがありました。自分の目の前にいる祖父だけを祖父だと思っていました。つまり、何も知りませんでした。

 

 そして36歳のおいらは、今まで意識して接したことのない「ビジネスパーソンとしての祖父」の話を聞きたいと思い、祖父の家を訪ねました。当時祖父は82歳。自宅で半分寝たきりのような状態でしたが、意識は明瞭ではっきりと話ができていました。

 祖父に「これから自分で商売をやっていこうと思っているけど、何かいいアドバイスはある?」という質問をしました。祖父はおもむろに「カネが借りたければ日本に帰ってこい」と言いました。おいらは意味がよくわかりませんでした。祖父はこんこんと「オーストラリアに居るのはいいが、わしの目の届かないところで商売はさせん。商売をやりたかったら日本に帰ってきてからにしろ」という話をおいらにしたのでした。

  この時のおいらは「じいちゃん、おいらの言ってることが分からなかったんだな」くらいの認識で祖父の家を出ました。

 

 実家に帰ると父が血相を変えて「おまえ、じいちゃん(祖父)と何の話をしたんだ」と言ってきました。おいらは「いや、商売を始める場合のアドバイスを何かもらおうと思って話をした」と返したのですが、父は苦虫を噛み潰したような顔で「じいちゃんがおまえにカネを渡しとけと言った」と、5万円入った封筒をおいらに渡しました。おいらが祖父の家を出た直後に、祖父から父に電話があったようでした。おいらはその封筒を受け取りました。

 

 それから時間を置いて少し考えると、どうやら祖父は「おいらが『商売をしたいからカネを貸してくれ』と言ってきた」と思っていたようだということが分かってきました。そして父は父で、祖父の勘違いを勘違いのまま聞かされ、「カネをせびる孫に“小遣い”でももたせてやれ」と祖父が言うままにおいらそのカネを渡した、ということのようでした。

 

 この話の詳細は父にはしていません。おそらく父は勘違いしたままです。そして祖父も、勘違いしたままあっちにいってしまいました。

 

 今から半年前に里帰りした時が、祖父を見た最後でした。地元の総合病院の相部屋の中のベッドで、脂肪と水分を全て失ったかのように小さくなった祖父が横たわっていました。それを見たおいらは緊張してしまい、祖父に何を話しかけていいか分からなくなってしまいました。「帰ってきたよ」と話しかけたおいらに、祖父は「オーストラリアから帰ってきたのか」「嫁はまだ連れてこんのか」と絞り出すような声で話しかけてきました。病室にはほんの数分しかいませんでしたが、最後に祖父の枯れ枝に薄皮のついたような手をとりました。シミだらけの茶色い乾燥した肌は、少し力を入れると簡単に破れてしまいそうでした。病室を出たあとも、おいらはしばらく頭の中がまとまらないままでした。

 病院から帰ると父が「じいちゃんはボケてて誰が誰か分からんようになっとる。お前のことも分からなかったんじゃないか」と言ってきたので、「オーストラリアから、とか話してたから、分かってたよ」とちょっとムキになって言い返しました。

 

 祖父の話と、おいらがいま高齢者介護を勉強しているのは、実はあまり関係ありません。以前から興味があった分野に飛び込んだところでの、今回の出来事でした。