supermonyari.

すーぱーもにゃり。

『LGBTのサイレントマジョリティが立ち上がることになった、杉田水脈議員の寄稿』についての私的返信。

以下の文章は、さとうじゅんさんの以下の論考への、ごく私的な返信です。

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杉田水脈議員の件についての一考はとても興味深かったです。右と左の両方の声を挙げながら、じゅんさん自身の立場を表明していくくだりは、。

 

わたしは福岡で式を挙げられた方のツイートが自分のTLで目にしたとき、非常に好感を持ちました。

じゅんさんの言うように、オネエタレントなどはたしかに面白おかしく「消費」された部分はある。しかしそれはゲイパレードのドラァグクイーンのようなもので、いわゆる「思考しない人たち」に“いわゆるLGBT”について知る機会(見て笑うだけであっても!)を与える一つのアイコンのあり方だと捉えています。たしかにくだらなくて辟易するのもあるのでしょうが 笑。また、最近話題になったBLドラマなんかもそうだと思います(観てないけど)。タイトルが釣りになってはいますが、物語は良質だったようで批判的な意見はゲイの界隈でもあまり見られなかったように思います。

いまの“いわゆるLGB”Tムーブメントが、これら「オネエ」や「BL」のように一過性の流行として消えていくのではないかという危機感はあるかもしれません。それでも今回の流れは、エイズ禍を含む80年代~90年代の「同性愛ブーム」よりもとても肯定的に取り上げられています(その肯定感に対するカウンターとしての今回の杉田議員騒動でもある)。じゅんさんが取り上げられた砂川秀樹氏や田亀源五郎氏のツイートには、そういう時代を経てきたバックグラウンドが感じられます。「オネエ」「BL」はともかく現在の「“いわゆるLGBT”ブーム」は、喧々諤々としながらも「同性愛ブーム」の頃よりずっと建設的で面白い方向に向かっていると思います。

 

gonzo hamasakiさんについては、数年前に彼が「ゲイとノンケをつなぐ」というような活動をされていたときに寄稿を打診され、つまらない文章を寄せさせていただいたことがあります。その頃からすると彼のツイートは非常に先鋭化してしまい、わたしからはタッチしなくなっていますが、当時と違ってあの鈍器を振るって暴れまわる彼の様子は、個人的に感慨深いものがある 笑。ちなみに直接お会いさせていただいたことはありません。

 

「最後に、僕が思う未来のこと」のくだりで、2点引っかかった点をお話させて下さい。ひとつはTABI LABOに寄稿された文章にある「節度ある性思考」について。ゲイの性感染症に関する問題は、生い立ちにの疎外感や孤独感からくる承認欲求充足のための行為であることがままあり、それが性感染症拡大の一因になっていることは否定し難いところです。そこで、婚姻が平等化されることで「モラルを見つめ直すきっかけにもなる」というご意見は、婚姻における「貞操の義務」もあり、性に関する行動の抑制に一定の効果を挙げることは考えられるでしょう。そして結婚するという行為を通して二人の結びつきの強さを確認し、友人や家族など周囲のサポートを受けることで改めて自分の社会的価値を確認できる。愛されていることを知る。それは素敵なことだと思います。

しかし、わたしは「節度ある性思考」の裏側に見える「不貞な性行為」=「性感染症」という図式に違和感がある。これらは分けて考えられなければならない。いま日本でこの図式が産んでいるのは性感染症検査の忌避と、それによる感染の拡大。風邪を引いて具合が悪くても「自己管理が足りない」と非難される社会で、性感染症に罹ったなんて口が裂けても言えない。けど風邪はただの風邪で、罹る時は罹る。それと同じように性感染症も考えられないか。もちろん予防をすることは前提だとしても、罹ったことをなじるのは「お前が襲われたのは挑発的な服装をして夜道を歩いたからだ」というセカンドレイプに通じる。じゅんさんにそういうつもりはないと思っていますが、HIV陽性者の友人がいるわたしとしてはどうしても引っかかることなのです。

 

もうひとつ引っかかったのは、「これからももっと税金の投入のしなくていい社会作り」というところ。じゅんさんはこの前のくだりで男女のカップルとの対比を出してこの税金の流れになっていますが、婚姻の平等化をうたうのであれば“いわゆるLGBT”のカップルもストレートのカップルも、平等に扱われなければならない。むしろ実生活の面ではこちらが非常に大切で、たとえば家を買うなど資産を積み上げて更に良い生活をしようと思えば、低所得者であるほどこれが重要になる。

これは税金だけではなく、職場での給与面での控除など(一部の企業では実施されているようですが)も含めて、お金のことは婚姻の平等化が社会に問わなければならない非常に大きな問題です。

 

大変長くなってしまいましたが、昨晩読ませていただいてから本当に考えました。また個人的に長らく自分の中に言語化できずにわだかまっていたものがかなりこの文面に出せて、勝手にスッキリさせてもらったところもあります。

わたしはじゅんさんの素直なところが好きです。思ったことを行動にしてそのフィードバックを受け止めて自分を変えていく姿が、今回のnoteにすごく現れているようで感銘を受けました。反論めいたことを書きましたが、当事者意識の話や友人の話、また寛容のパラドックスの話などは共感しました。

わたしは、今後もじゅんさんを応援する気持ちは変わってませんが、阿諛追従はしたくない。わたしも思うことを伝えて、じゅんさんにわたしのことも知ってほしい。そういう思いです。なので、じゅんさんの方からもこの文章について異論反論ありましたらお伺いしたい。

 

最後に、この文章を書く機会をいただき、ありがとう。気分を害されていないことを祈ります 笑。

 

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介護の仕事のお給料。

 「甲斐性無し」という言葉がありますが、「甲斐性」とは「かいがいしい性質。働きや才覚があり,生活力に富んだ頼りになる気質」だそう。おいらには全く無い、です。

 そんなおいらの現在の収入は、主に昨年末から始めた介護の仕事から得ています。最近は「カジュアル」から「パーマネント・パートタイム」に扱いが変わりました。

 

雇用形態

 オーストリアの雇用形態は「フルタイム」「パートタイム」「カジュアル」という3つの形態が一般的です。日本では「正規」のいわゆる正社員と「非正規」のアルバイトや派遣社員など、という分け方になると思いますが、「フルタイム=日本の正規」「パートタイム、カジュアル=日本の非正規」ではありません。

 「フルタイム」と「パートタイム」の違いは、業種などにより異なると思いますが、大まかには「週当たりの労働時間が38時間以上か未満か」のみです。有給休暇や病気休暇が付与される点でも同じです。

  「カジュアル」はパートタイムやフルタイムに比べて時給が高めに設定されています。しかし労働時間が保証されず、有給などの福利厚生もありません。また事前通告無しに解雇されることもあります。

  おいらの雇用されている形態である「パーマネント・パートタイム」の「パーマネント」は、雇用者と被雇用者との間に“辞めますよ”という合意がない限り雇用され続けるという意味です。また「フィックスド・コントラクト」というものもあり、これは半年や1年など一定の期間において雇用されるという形態です。

 

オーストリアの雇用状況

 オーストリア統計局が発表した2016年4月の時点でのフルタイムとパートタイムの比率(カジュアルは含まれていません)ですが、フルタイム雇用が8,165,600人に対し、パートタイム雇用は3,751,600人。しかし近年フルタイム雇用は減少傾向にあるようで、フルタイム雇用やカジュアル雇用が増加しているとの報告があります。

 また失業率は2016年4月の時点で5.7%、723,300人が失業中とのこと。

 

で、いくらもらってるの?

 とまあ、そんな雇用状況の国で働いているわけですが、肝心の給料。 

 単刀直入に言うと、おいらの時給は現在22.50ドル。日本円に換算すると、googleによる2016年6月11日時点で豪ドルが約79円なのでつまり時給約1,777円

 契約上の最低労働時間が2週間当たり65時間(給料は2週間に1回支払われる)なので、4週間で2,925ドル。1ヶ月をざっくり4週間と考えて上記と同じレート換算だと、日本円で月給約231,075円ということになります。

 

 実際は土日の時給割増や呼び出しによる追加出勤などもあるので、収入は若干増えます。これが介護経験ゼロで資格だけ取った就職1年目、月当たり130時間労働でサービス残業無し(といいたいが、実はこれは担当業務によって違う。また後日話したい)の給料。あくまでも、おいらの職場での話ですが。

 

 では、実際の業務現場はどうなのか?業務内容は?職場環境は?人間関係は?

 

 次回を待て(笑)!

 

 

【カジュアル、パートタイム、フルタイム】

https://www.fairwork.gov.au/employee-entitlements/types-of-employees/casual-part-time-and-full-time

 

【失業率】

http://www.abs.gov.au/ausstats/abs@.nsf/mf/6202.0

祖父の死

 先日高齢者介護の講習が終了し、いよいよ来週から現場実習に入ります。その実習のある施設にちょっとでも慣れておければと思い、4日間ほどボランティア活動をしました。入居者20人くらいの小さな施設で、ほとんどの入居者は認知症がある方です。ボランティア人員はレクレーションや食事の補助などをしますが、実際はコミュニケーションの取り方すら手探りで模索しているような状態でした。

 

 ひと月ほど前になりますが、父方の祖父が身罷りました。

 

 84歳。母がその次の日に連絡をくれました。母とおばさんたちで看取ったことなど、ざっくりとその日の話を聞いたのですが、話の中で気になったのは、父が「monyari(おいらのこと)には連絡しなくていい」と母に言ったらしいことでした。

 海外にいるおいらに、葬儀のために帰ってくるような手間をかけさせたくないということだったのかも知れませんが、おいらは父の態度がちょっと引っかかりました。以前実家に帰ったとき、気にかかっていたことがあったからです。

 

 今から2年ほど前、おいらは当時のオーストラリアの職場を辞めて独立する段取りを考えていました。鉱山景気も収束し小さい日本人市場しかもたないパースの街で、日本人市場以外に打って出るのに、自分に自信をもたせ、後押しする何かが欲しいと思っていました。そこで「一番身近なビジネスの先輩は誰か」と考えた時に、おいらが生まれるずっと前に地元で会社を興した祖父の顔が浮かび、話を聞ければと思い立ったのです。

 

 父も一線を退いてはいますが、経営で前線に立つおいらの2人の弟たちをバックアップしています。以前父に「会社からこういう扱いを受けている。どうしたらいいか」と聞いたことがあったのですが、父は「会社のやり方が気に入らないなら辞めろ」とぶっきらぼうに返事をしました。そういう話をおいらとする時、父はあまりいい顔はしません。家業を継がせるはずが実家を飛び出してしまった長男であるおいらと、そういう話をするのはいい気がしないというのもあるのかも知れません。おいらもその表情を見るとそれ以上話す気になれず、いつも盛り上がらずに終わります。

 

 祖父の方は、生前から「数字とカネに敏い」「人を人とも思わない」人だと、周囲から聞かされることがありました。おいらが小さいころ、祖父は特別に優しい人だと思ったこともありませんでしたが、特においらに向かって厳しく叱ることもなく、肩もみや白髪取りなどをさせては小遣いをくれる、そういう印象だけがありました。自分の目の前にいる祖父だけを祖父だと思っていました。つまり、何も知りませんでした。

 

 そして36歳のおいらは、今まで意識して接したことのない「ビジネスパーソンとしての祖父」の話を聞きたいと思い、祖父の家を訪ねました。当時祖父は82歳。自宅で半分寝たきりのような状態でしたが、意識は明瞭ではっきりと話ができていました。

 祖父に「これから自分で商売をやっていこうと思っているけど、何かいいアドバイスはある?」という質問をしました。祖父はおもむろに「カネが借りたければ日本に帰ってこい」と言いました。おいらは意味がよくわかりませんでした。祖父はこんこんと「オーストラリアに居るのはいいが、わしの目の届かないところで商売はさせん。商売をやりたかったら日本に帰ってきてからにしろ」という話をおいらにしたのでした。

  この時のおいらは「じいちゃん、おいらの言ってることが分からなかったんだな」くらいの認識で祖父の家を出ました。

 

 実家に帰ると父が血相を変えて「おまえ、じいちゃん(祖父)と何の話をしたんだ」と言ってきました。おいらは「いや、商売を始める場合のアドバイスを何かもらおうと思って話をした」と返したのですが、父は苦虫を噛み潰したような顔で「じいちゃんがおまえにカネを渡しとけと言った」と、5万円入った封筒をおいらに渡しました。おいらが祖父の家を出た直後に、祖父から父に電話があったようでした。おいらはその封筒を受け取りました。

 

 それから時間を置いて少し考えると、どうやら祖父は「おいらが『商売をしたいからカネを貸してくれ』と言ってきた」と思っていたようだということが分かってきました。そして父は父で、祖父の勘違いを勘違いのまま聞かされ、「カネをせびる孫に“小遣い”でももたせてやれ」と祖父が言うままにおいらそのカネを渡した、ということのようでした。

 

 この話の詳細は父にはしていません。おそらく父は勘違いしたままです。そして祖父も、勘違いしたままあっちにいってしまいました。

 

 今から半年前に里帰りした時が、祖父を見た最後でした。地元の総合病院の相部屋の中のベッドで、脂肪と水分を全て失ったかのように小さくなった祖父が横たわっていました。それを見たおいらは緊張してしまい、祖父に何を話しかけていいか分からなくなってしまいました。「帰ってきたよ」と話しかけたおいらに、祖父は「オーストラリアから帰ってきたのか」「嫁はまだ連れてこんのか」と絞り出すような声で話しかけてきました。病室にはほんの数分しかいませんでしたが、最後に祖父の枯れ枝に薄皮のついたような手をとりました。シミだらけの茶色い乾燥した肌は、少し力を入れると簡単に破れてしまいそうでした。病室を出たあとも、おいらはしばらく頭の中がまとまらないままでした。

 病院から帰ると父が「じいちゃんはボケてて誰が誰か分からんようになっとる。お前のことも分からなかったんじゃないか」と言ってきたので、「オーストラリアから、とか話してたから、分かってたよ」とちょっとムキになって言い返しました。

 

 祖父の話と、おいらがいま高齢者介護を勉強しているのは、実はあまり関係ありません。以前から興味があった分野に飛び込んだところでの、今回の出来事でした。

日本でLGBTを語る、ということ。

 できれば毎日書きたいと思っていたが、さっそく1日ぼうずの体たらく。英語で書く分はやっぱり止めます(笑)。

 

 オーストラリア現地の人たちに混じって、高齢者介護の講習を受けています。英語のハードルが高く、ひいこら言いながらも内容が面白いので頑張れます。講習内容が2日以上連続することがないので、どの講習からでも始められる代わりに、1回講習を逃すとその単位を取り戻すのに時間がかかりそうです。毎回しっかり受けないと。

 

 その2回の講習の中で気になったのが、どちらでもLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)に“すごく”触れていることです。「これからはゲイ専門の介護施設ができるだろう」という話や、あるゲイカップルの痴呆症に関するドキュメンタリー動画を見せるなど、「ちょっとやり過ぎじゃない?!」とこっちが思ってしまうくらいでした。けどもちろん、おいら自身はとても勉強になるし、自分の今後を含めとても考えさせられています。

 

 そんな中、ジャーナリストの北丸雄二さん(@quitamarco)のツイートが炎上しているのを見ました。武藤議員の買春問題について触れ「隠れホモ」という言葉を使って日本でのLGBTのあり方を「エンカレッジ(encourage:勇気付ける、励ます)」しようとしましたが、それが多方から「LGBTのあり方を決め付け過ぎている」などと批判を受けています。

 まとめサイトでその批判を見ましたが、感じるのは「日本でのLGBTの受け入れは、米国やオーストラリアとは同じになれないなぁ」ということです。

 

 おいら自身は、当地オーストラリアでは、基本的に自分のセクシュアリティ(ゲイ)を基本オープンにしています。面白いのは日本人と、日本人以外のオーストラリア現地の人の反応の違いです。日本人は「よく分からず反応できない」人が多いように思います。けど現地の人たちの多くは「よく言ってくれた!」と言わんばかりに好意的な反応をしてくれました。これは最初の講義の話のように、普段からLGBTの人たちが周囲にいることを意識した言説が大切にされているからだと思います。それは「自分とは異なるバックグラウンドを持つ人たちと生活している」という、移民国家である事実がそうさせるのかもしれません。

 それに対し日本は「みんなと同じ」であることがとても大切にされます。その裏返しとして「みんなと同じ」ではない人に対しての対処がとても良くないことが多い。日本にいた時に知人にカミングアウトしたら「いい女性に出会っていないから」「自分をそんなに決め付けないで(!)とりあえず女性とデートでもしてみたら?」と言われたことがあります。そんなおいらは、日本では基本クローゼットです。

 

 北丸さんは米国に在住されており、現地のLGBT事情にとても詳しい。周辺の人々もおそらくLGBTに関して意識の高い方々だろうと思われます。米国は2015年6月に同性婚が合法化されたこともあり、個人の好悪を問わずLGBTが目に見える存在です。

 日本でも最近渋谷区による「同性パートナーシップ条例」が話題ですが、東京在住の友人に聞いても他人事のようでした。先日(2015年5月ごろ)、日本に帰国した際に渋谷区の「男女平等・ダイバーシティセンター・アイリス」に行ってお話を伺いました。担当の方からはとても丁寧な対応をいただきましたが、「当事者の反応はほとんどない」「盛り上がっているのはメディアと一部の人たちばかり」ということでした。現時点で具体的な内容がまだ決まっていないためでは、とも話されていました。

 

 じゃあ、何がLGBTにおける日本と米国やオーストラリアとの違いなのか?米国やオーストラリアは移民国家です。様々なバックグラウンドを持つ人々と一緒に生活していくことが前提で、特に米国には弱者やマイノリティとされる人々が自ら声を上げ、戦って自由を勝ち取ってきたという歴史があります(実はおいら、この辺についてオーストラリアの話はよく知らないんです。ごめんなさい)。

 日本でも「府中青年の家事件」のような事実もありますが、それが日本のLGBTの心の礎をなしているかといったら、そこまでではないと思います。井田真木子さんの「同性愛者たち」を読むまでは、おいらも知りませんでした。そしてこの本に出てくる、いかにも「日本人」という感じがする、のらりくらりとした青年の家側の対応は、日本における大半の人のLGBTに対する意識を代表するかのように曖昧です。

 

 ここまで言うと、おいらもゲイリブ(死語?)っぽいですが、個人的には、そういうのは喉元過ぎた感じで、声を上げて「日本でも同性婚!」ってな風にはなれません(オーストラリア国内では現在紛糾しているみたいです)。そして日本は日本で、たくさんの先人が築いてきたものがあるから今の日本における「LGBTぬるま湯」があると思います。この「ぬるま湯」は「適当にほっとく距離感」です。思想家の東浩紀さん(@hazuma)が以前、東京のゲイパレードにそういうニュアンスの言葉を贈っていたかと思います。おいらは(少なくとも日本人にとって)これはとても大切だと思っています。

 そしてこれは、文字通り死に物狂いいでやらないと自由がなかった米国とは対照的で、つまりものすごい「適応力」なんだとも思います。目には見えにくいですが、上手にお互いあいみつを取りながら(時には誰かが犠牲になりながら)築いてきた「日本のLGBT文化」が、そこにあるのだと思います。もちろんLGBTの概念は日本国産ではなく輸入物ですが、それが米国やオーストラリアと同じでなくてもいい(そしてもちろん、改善の余地もたくさんある)と思います。

 

 今回の北丸さん炎上の件は、その「日本のLGBT文化」の有り様を表しているような気がします。印象はネガティブですが、日本でLGBTを語ることについてとても考えさせられる案件です。

9年目のAged Care

 38歳。高齢者介護の養成所に通うことにしました。

 

 のべ15年ほど、いわゆるグラフィックデザインの仕事をしてきました(紆余曲折はありましたけど)。だけど、ワーキングホリデーでオーストラリアに来て以来の友人からの勧めもあり、かなり迷いながらも「えいやっ」っといった感じで始めることにしました。

 

 福岡で5年勤めた制作会社を「オーストラリアに行くんでー」という理由で退職。某自動車メーカーの期間従業員を経て(ここでも色々あったが)、人生で初めて訪れた海外がオーストラリアの西の端、パース。2006年10月、当時29歳でした。

 現地の語学学校を卒業する間際、軽い気持ちで始めた日系企業でのアルバイトが、まさか艱難辛苦の8年4ヶ月の始まりだったとは、ギリホリ(ギリギリ・ワーキングホリデー)男子は想像もしていませんでした。

 その日系企業を退社したのが2015年3月。思いもよらぬお土産をいただいて発狂しそうにもなりました(たぶん後日また書きます)が、半年ほどの充電期間を経て、いよいよ貯金も底をつきそうだということもあり、「何か仕事を始めないとなー」ということに。そこで、「高齢者介護(Aged Care)」。

 

 ところで皆さんは、長年勤めてきた職種から、長いスパンを見た上で全く違う職種に仕事を変えられた経験はお持ちですか?おいらは今回、それにチャレンジするわけですが、はて上手くいくものだろうかとちょっと不安です。

 実のところ退社して2、3ヶ月くらいは、デザイナーとしての現地企業への就職活動もぼちぼちやってはいました。しかし反応はなしのつぶてで、かなり焦っていました。

 そして何より「自分はデザイナーとして、いつまで安定して飯が食っていけるだろう」というのが、ずっと不安としてありました。それが前出の日系企業を退社した理由の一端でもあります。おいらは自分のデザイナーとしての能力に、ずっと疑問を持っていました。

 

 そこで、以前から興味のあった介護の業界に飛び込んでみようと決めました。

 

 オーストラリアでも介護事業はそこそこ仕事があるようで、現地向け求人サイトを見ても結構(デザイナーよりは)仕事があります。最悪、日本に帰ることになっても、経験があれば何かしらできるだろうという打算もあります(オーストラリアの資格は日本では使えないと思うけど)。

 養成所には、今日から2日後に通い始めます。さてどうなることやら。

 

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I am going to take a training course for Certificate III Aged Care. 

 

I currently live in Perth, Australia, since when I came to this country in October 2006. Working holiday was my visa at first but now I'm a permanent resident.

 

Graphic design was my job for over 8 years as I was employed by Japanese-owned company, with my 5 year experience as a designer in Japan. It was quite tough. Now I have resigned and looking for new career, that’s Aged Care.

 

Design job is highly competitive since online services are developed, so for me it could be easier to make my life not only one job but also another.

 

I hope this decision works lol.

I will keep posted how it goes.

 

 

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23/08/2015:誤字修正。マイナーチェンジ。